賀名生皇居址
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JRバス賀名生駅
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正平3年(1348)正月5日、河内四條縄手にて南朝の精鋭・楠木正行軍は奮戦むなしく潰え去り、高師直率ゐる北朝軍は吉野目指して南下しました。正行敗るの報を受けた吉野の朝廷は退避を決め、賀名生の地へと遷りました。そして土地の豪族・堀信増の屋敷に迎えられたのです。以来南帝数代に渡ってこの屋敷が皇居となりました。現在でもさまざまな遺物が残されてゐます。
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吉村寅太郎筆の「皇居」の額
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遠景
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