北畠満雅戦死地
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三重県津市大字半田
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北畠満雅
は、南朝の柱石として名をはせた
北畠親房
の曾孫に当たり、3代目の伊勢国司です。正長元年(1428)、両統迭立の約定を反故にされた小倉宮実仁親王を奉じて幕府に抗議の義軍を起こすも、同年12月21日、この地にて壮烈なる討死を遂げられました。合掌。
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北畠満雅卿の祠
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北畠満雅卿の供養碑
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北畠満雅卿の石柱
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